作家が語るヒット漫画の舞台裏──東村アキコ 第1回 小学生の記憶を共感に昇華する――『まるさんかくしかく』が描いた時代の体温
2026/01/26
自伝的作品『かくかくしかじか』(集英社)や、社会現象を巻き起こした『東京タラレバ娘』(講談社)など、数々のヒット作を生み出してきた東村アキコ氏。好評連載中の『まるさんかくしかく』(ビッグコミックオリジナル)は、昭和60年(1985年)の宮崎を舞台に、どうでもいいことに一生懸命な小学4年生の林アキコの日常を、“宮崎あるある”を交えて描く半自伝コメディーだ 。
なぜ、自らの原点に立ち返ったのか。その背景には、単なる懐かしさではない、鮮烈な記憶の断片から編み出される圧倒的なリアリティと、世代を超える共感のロジックがある。時代や地域を超えて届く、強い物語の源泉に迫る。

【プロフィール】
1975年宮崎県生まれ。金沢美術工芸大学美術科油画専攻卒業。1999年、「フルーツこうもり」で漫画家デビュー。主な作品に『雪花の虎』(小学館)、『ママはテンパリスト』『かくかくしかじか』(ともに集英社)、『海月姫』『東京タラレバ娘』(ともに講談社)、『偽装不倫』(文藝春秋)など。
講談社漫画賞、マンガ大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、米国アイズナー賞最優秀アジア作品賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、アングレーム国際漫画祭ヤングアダルト賞など受賞歴、さらに映像化作品も多数。
2026年1月現在、『まるさんかくしかく』(ビッグコミックオリジナル) 、『まるさんかくしかく+』(ちゃお)、『銀太郎さんお頼み申す』(集英社)連載中。
未開拓だった小学校時代。噛み締めて、味を引き出す
──これまで数多くの半自伝的作品を手がけてこられましたが、今回の『まるさんかくしかく』も、その流れに連なる一作になるのでしょうか?
そうですね。振り返ってみれば、父のことを描いた『ひまわりっ~健一レジェンド』(講談社)や、恩師との思い出を基に描いた『かくかくしかじか』など、自分の人生を描いてきた作品はいくつもあります。でも、ふと考えてみたら、触れていなかったのが小学生時代。それに気づいたのが、『まるさんかくしかく』を始める大きなきっかけになりました。

小学館では『雪花の虎』(月刊ヒバナ~ビッグコミックスピリッツ)、『薔薇とチューリップ』(月刊スピリッツ)といった作品を描いてきましたが、その担当編集とは、以前から「子どもが主人公の漫画、やりたいですよね」なんて話をしていて。その中で「そういえば、私の小学生時代ってまだ手をつけてないな」と気づいたんです。人生って、しがむ(噛みしめる)とまだ味がする部分があるじゃないですか。私にとって小学校時代は、まさにそれ。しかも本当に楽しくて、面白い思い出が山ほどある。「ここはまだ掘れる、描くしかない」と、素直に思えたんですよね。
──舞台になっているのは、昭和60年の宮崎県です。当時の空気感をどのように捉えていますか?
今振り返ると、あの頃って、日本全体がものすごく元気だったと思うんです。子どもの数も多かった時代で、街には人があふれ、活気があって、とにかくにぎやかでした。宮崎でも、夏になると「また祭り?」と思うくらい、毎週どこかでイベントが開かれていた印象があります。
でも今、宮崎に帰ると、中心街の映画館がなくなっていたり、街の景色もずいぶん変わっています。今の子たちに「昔はこうだったんだよ」と話しても、たぶん信じてもらえないと思うんですよね。だからこの作品は、まずは同世代の人たちに読んでもらえたらと思って描いています。「ああ、あの頃ってこうだったよね」と、懐かしんでもらいたい。そして、若い世代の人たちにも「こんなにパワフルで面白い時代があったんだ」という発見を楽しんでもらえたらうれしいです 。
取材ではなく、映像記憶で描くリアリティ
――名物の「鯨ようかん」からクラスメイトの筆箱、登下校のやり取りまで、描写が非常に緻密です。どのようなリサーチをされているのでしょうか?
「そんな細かいところまで、どうやって調べてるんですか?」ってよく聞かれるんですけど、『まるさんかくしかく』に関しては、実は取材はほぼゼロなんです。チキン南蛮の味つけとか、夕方5時半からのアニメとか、私の記憶がベースです。
たとえば、打ち合わせでご飯を食べながら「子どもの頃ってさ……」って話し始めると、「あの頃、コックリさんが流行ってたよね」とか、「この時期、こういうブームあったな」とか、「夏祭りでこんなことがあったな」とか。それを聞いた担当編集が、「それも一話いけます」と、的確に拾ってくれるんです。それが作品のエピソードになっていく。そんな積み重ねが、『まるさんかくしかく』という作品を支えています。
私、勉強に関する記憶力は壊滅的で、年号とか単語とか全然覚えられなかったんですけど、なぜか景色とか場の空気はすごくよく覚えています。よく「漫画家は記憶を映像で持っている」って言われるけど、私もたしかに2~3歳くらいの景色を映像で覚えてるようなところがあって。その場に立っていた自分の視点とか、そのときに感じていた空気感も、ちゃんと残っている。そういう“映像の記憶”を紙に起こしていくことで、作品ができあがっていく──そんな感覚です。
──キャラクターやセリフについても、当時の空気感、雰囲気を大切にされていますね。
出てくるのは、基本的には実在の人がモデルです。ただ、誰か一人をそのまま描いているというよりは、その場にいた人たちの空気や関係性を形にしている感覚に近いかな。同じ出来事を、同じ場所で体験してるから、小学校時代の思い出って、みんなの中にある記憶の集合体になるんですよね。

ただ、その本人には「バレたくないな」とは思ってるんですよ。だから、ちょっとずつズラしたり、混ぜたりはしてるんですけど……。結果としてバレることも含めて、ちゃんと生きていた時間なんだなと思っています。
宮崎弁については、そのまま文字にすると読みにくくなるので、フキダシの中で引っかからずに読める日本語として再構築しつつ、ニュアンスを殺さないように微調整しています。そこでは、記憶だけじゃなくて検証も必要で……同級生のLINEグループに「こんな言い回しでいい?」と投げたら、みんなから一斉にツッコミが入って調整したり。最強のブレーンたちと格闘しながら、どんな人でもすっと読める「東村版・宮崎弁」を構築している感覚です。
少女時代を過ごしたホームタウンの記憶が、地域の共有財産に
――『まるさんかくしかく』は、宮崎での反響も大きいそうですね。
ありがたいことに、地元の方々には本当に喜んでいただいています 。今回は宮崎のローカルな話題をこれでもかというほど詰め込んでいますから、宮崎在住または出身の方にはある種の義務として読んでいただきたいぐらいです(笑)

実際、宮崎空港ではコミックスが全巻平積みされていたり、市役所にも置かれていたりと、本当に幅広く受け入れてもらえているのがうれしいです。宮崎市の清山知憲市長も応援してくださってます。彼は高校の後輩で、作中登場する「甲斐くん」のモデルでもあるんですが、熱心に作品を推してくださっているのはありがたい限りです。
──作家個人の思い出を描いた物語が、今や「地元の共通言語」のような存在に進化しているのを感じます。
宮崎から東京に来た修学旅行生に「先生、写真撮ってください!」と声をかけられることもあるのですが、そうやって若い子たちが地元の先輩として親しみを持って接してくれるのは、作品を通じて故郷と深く繋がっている証拠なのかなと感じます
そうしたつながりから、この作品が単なる「読みもの」を超えて、地元の誇りや話題、そして新しい文脈の一部になっていってもらえたら嬉しいですね 。私にとって宮崎は、子ども時代のにぎわいの記憶が強く残っている場所です 。だからこそ、市長にもぜひ頑張ってもらって、もう一度、街全体に昔みたいな活気が戻ってきてほしい 。作品がそのきっかけや、街の元気の源になればと思っています。
鮮烈な「映像記憶」を起点に、地域の共有財産へと広がり始めた『まるさんかくしかく』。そのライブ感溢れる物語を描き続ける裏側には、どのようなプロセスがあるのか。第2回では、原稿に向かう制作スタイルを軸に、東村アキコの創作論を掘り下げていく。

ビッグコミックス
『まるさんかくしかく』
1~5集発売中(以下続刊)
https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784098625949

ビッグコミックス
『雪花の虎』

ビッグコミックス
『薔薇とチューリップ』
全1巻発売中(電子版)
https://shogakukan-comic.jp/book?jdcn=098604360000d0000000
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